或日或森

あがた森魚の或日の日記やコラムをお伝えしてまいります。

月刊映画『うすけし ぱあぷるへいず 2007』(貝殻蛇腹海戦回想日記07年1月號)


神楽坂・DIMENSIONで行っているマンスリーライヴでは、
あがた森魚による1ヶ月の日記映像が紹介されています
この映像に今月、テキストが付きました、そこから紹介いたします

(前略)

日々への「ありがとう」は、引き続き、とりあえずは、
こうして映像や歌やノートに何かを書き残すことによってでしか始まらないだろう。

もっと、厳密にいえば日々の「おはよう」と「おやすみなさい」だけでも、
印し続けるということではないか?
もっとも、着実で、忠実で、しかし単なる往復運動、楕円運動、脈拍運動で、
早廻しして観たら、あくびして、おじぎして、笑って、叫んで、
の繰り返しが、痙攣しているかのようで、
ジミ・ヘンドリックスのぱあぷるへいずが、
生命運動への本能の躍動と蠕動のもがきのように蹶起したり、
はいずりまわている。鼓動とキのふれた祝詞ようにしかみえないように。
こんな映像は、痙攣する自分レントゲン写真でしかない。
毎日毎日同じことしか写らない自分レントゲン写真でしかない。

こんな映像は、劇場公開用映画でもなく、
事実のリアリズムに拠ったドキュメンタリー映画でもなく、
ごく私的なわたくしの痙攣する自分レントゲン写真のような映像日記でしかない。
ほら、うすけし ぱあぷるうすけし ぱあぷる うすけしぱあぷるへいず のように
くねくねぴくぴくのたうってるだろう?

それにもかかわらず、映像を撮ることによって、
そして、それをまがいなりにも、不特定多数の人々に見てもらおうという……、
あがたのライヴを観に来てくれる人へのマンスリーレポートとしての
「月刊映画」を作ろうという……、
この妄想じみた、楕円するような痙攣運動によって、
あまりにも実に単純な表現へのアプローチのような営みによって、
かろうじて、かろうじて、過ぎ去った日々への、今日一日過ぎ去ろうという日への、
なんとかはじめて、「ありがとう」が成立する。
「ありがとう」も「うれしかった」も「ごめんなさい」も
「ずーっと、ここに一緒にいたかった……」も……。

映画なんて、もう撮ることなんてことはないのかもしれない。
いや映画なんて、もう撮れないということなのかもしれない。
けれども、こうして日々映像を撮りためることによって、
初めてめて「オレは、動く絵が好きなんだ」
「オレは映画を作りたいんだ」と、表明できるということなのかもしれない?

なんの証になるやもしれないが、歌や、旅や、気持ちや、
考えや、思想や、生きてる姿などというものが、
機能性や、合理性や、あだたらな掟などに恭順に生きるための証ではなく、
歌や、旅や、気持ちや、考えや、思想や、生きてる姿などというものが、
それ以前の無邪気で原初的な、たしなみや、たたずまいの、
日々の往復運動のためのにあるものなのだという証しを、写し取れたらとおもうのだ。

いよいよ一か月ぶりの神楽坂DIMENSIONでのライヴだ。 (2月號につづく)
(updated 27th. Jan. 2007)


●2006年11月3日(金)「2006年10月5日(木)」日記より
●2006年11月1日(水)「モリオの滑空ロッヂ」(Morios Cuckoo Loggi)