今週の日記より

あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります

@■2011年08月11日(木)


タンゴなんぞはなんぞや?!

@■2011年08月11日(木)

 今日は、午前11時から『誰もがエリカを愛してる』のマスタリング。
CDアルバムジャケットのデザインの校正も最終段階。
 こうなってくると、たった今現在、全13曲入り、60分に1、2分欠ける58分ほどのアルバム。
 ここまでくると、最後の悪あがきもいよいよ年貢の納め時、というわけ。
今日マスタリングを終え、それでも曲間等々含め、今日、明日にかけて もう一度最終手直しが生じている。
 気温昨日36度、今日37度の暑さの中、
時折、雷鳴がとどろく湿度の高い暑さの中、なんとも得体の知れない郷愁が、五感にしみわたってくる。そもそも、1985年(だったか?)に、横浜のシエ・テ・オロというタンゴ楽団のライヴのチラシをもらい、横浜まで観にいって感銘を受けた。ほぼ、オスバルド・プグリエーセの曲ばかりで。その時、感銘した「レクエルド」という曲に歌詞をつけてうたったのが、翌年に出した『バンドネオンの豹』の代表曲になるわけだが。
 そもそも、そのレコーディングの最中に、シエテ・デ・オロという楽団と一緒にはじめて、タンゴの生れたブエノス・アイレスという街を訪ねて、行く先々で「カンタ・アガタ!」と歓待され、また、一部からは、理不尽なバッシングやNG出しをされたり。(その時のブエノス・アイレス訪問記は、斉藤一臣著「青春の音」に詳しいが)
 タンゴ本国の土壌の、また一部の日本のタンゴ関係者の冷酷なあしらいや、いやがらせ、にもあい「タンゴなんて最低だ」なんて思いながら作ったのが『バンドネオンの豹』だった。思えばあのとき、まだ、バンドネオン奏者・池田光夫という、日本のタンゴ史を生きてきた大先輩の存在が、精神的支柱としてあった。とはいえ、その後『バンドネオンの豹と青猫』というアルバムも出したが、三部作までにはエネルギーが及ばす、もう二度とタンゴをやることはないかもしれないと思っていたが、ここ数年、何かのはずみでタンゴとの再会。思いあまり昨年は、5月と8月、2度もブエノス・アイレスを訪ねた。東京とブエノス・アイレスでのレコーディングは厳しかった。特に1年前の8月10日頃、東京を発って、月末までの20日間、ブエノス・アイレスで、コリエンテス通りの巨大なオベリスコのある交差点のすぐ脇のアポロ劇場でミュージカル「美女と野獣」がロングラン中で、そのすぐ隣のコリエンテス848番地のアパートに滞在し、レコーディングやらライヴやらタンゴ・フェス鑑賞やら贅沢な日々を過ごしましたが、80年代半ばのブエノス・アイレス訪問を彷彿とさせるトラウマ。アルゼンチン・タンゴの壁、アルゼンチン・タンゴを日本語で歌う意味/無意味を再び、問われながらこの壁をなんとか乗り越えようと、がんばったりも、やっぱりダメかもしれないというあきらめも。徒労感やむなしさに、まみれて帰ってきました。そこからちょうど一年後、沢尻エリカ名の表記に関する一騒動、 3.11大震災、などなどを経て、ほぼ昨年中には完成していたアルバム、やっとブエノスアイレス訪問から約一年経てリリースにこぎつけようとしている。マスタリングが終了する今、結局、13 曲に絞ったのだが、このアルバムにいかな評価が下ろうとも、あらためて聴きかえすと、ここまでの長くて深い旅路が刻みこまれている。荒俣宏さんとの対談、斎藤充正さんの解説なども入り、本当によくここまでのアルバムに仕上がったものだ。皆様の手厚い愛情のたまもの以外のなにものでもない。
 ぜひ、皆様にも早く聴いていただきたい。


@■2011年8月2日(火)「またここであえる?」
●2007年1月27日(土)月刊映画『うすけし ぱあぷるへいず 2007』
 (貝殻蛇腹海戦回想日記07年1月號)より
●2006年11月3日(金)「2006年10月5日(木)」日記より
●2006年11月1日(水)「モリオの滑空ロッヂ」(Morios Cuckoo Loggi)