今週の日記より

あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります

@■2012年06月10日(日)


歌は歌なんだ。

ここのとこ、雑多な作業の合間を縫って曲作り。
「どんなときにどのように曲作るのですか?」
ありきたりな質問だが、時々聞かれる。
明解な答えはない。
イメージが浮かぶと、
メロディでも言葉でも、どんどん浮かぶ。
けれども意外と大変なのが、詞、曲の締めくくり。
全体の成り立ちを、どのような形状に収めるのか。
陶磁器の形状を、ろくろでどう整えていくのか。
体操競技で、最後どう着地するのか。
のようなプロセス。
こねかたによっては、なにものにでもなる。
着地次第では、丹精を込めたものが台無しにもなる。

けれども、歌は歌である。
正鵠を得ないと器として役に立たないとか、
芸術品として身の置き所がないというのでもない。
スポーツのように、順位や、勝ち負けで判定されるわけでもない。
もちろん歌にだって、
天才肌のよくできた歌もたくさんある。
けれど、歌って、なんだか、
「完全なる不完全」こそが、
歌かなって気はする。

禅問答風に言うと、
完全を目指して、敢えて不完全。
完全を、叩いて壊して敢えて不完全。
わたしの師匠たちは、何故かみんなそうである。


純正品や美人画を目指してるわけではない。
敢えて、壊す、崩す、破る、冒す、外す。
歌自体が、純粋であり、凶暴であろうとする。
歌自体が、憧憬であり、けれどレジスタンスでありたくてならない。

ひとつはっきり言えるのは、
歌は、鼻うたで歌おうが、カリスマが歌おうが歌だ。
そして、数分で終わる。
(カリスマの鼻うたが神業かも。)
(その意味で、師匠Dylanは、いつも鼻うたなので完全です!!)

絵画が描けたらといつも思う。
しかし、とある因果から、音楽をやるはめになった。
歌は、音楽は、3分歌ったら影もかたちもなく消える。
つまり、時間軸の表現。
永遠メガロマニアのオレが、(なぜか絵画ではなく)
刹那を実証する「歌」を選んだのはなぜだろう?
うたは、3分あれば、せつなく、終わる。
だからまた聴きたくなる。
また歌いたくなる。
また会いたくなる。
ううう……!!

(もうすこし?)

そう、こうしうて、
頼まれもしない日記を長々書いて、時間と労力を無駄使いしてるのも、
ある意味、歌う意味への反抗、歌う営みからの脱走なんだな。
歌を神聖化したくて、
同時に、自分の歌に悪たれをつかずにいられないような。



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